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  著名人の玄関めぐり

著名人の玄関めぐり 今回は、歴史に名を残す方々の玄関めぐりに出かけましょう。
一口に玄関といってもいろいろとあるようです。

■賢治直筆のメッセージ
まずは宮沢賢治。花巻農業学校を辞めたのち、賢治は岩手県花巻市に私塾「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」をつくります。農業の普及と指導をするのが目的でしたが、住居も兼ねていた建物の玄関には、「下ノ畑ニ居リマス 賢治」という、あまりにも有名なメッセージが。これは、賢治が留守中の所在地を示したもの。朴訥で生真面目な賢治の印象がよく伝わってくる玄関です。


■日本最小の玄関発見
日本屈指の民俗学者といえば柳田國男。そのゆかりの家は兵庫県福崎市にあります。 とある山中にたたずむその家は、間口5間、奥行き4間。土間と3畳間、4畳半の座敷、4畳半の納戸、3畳の台所という典型的な「田の字型」。
柳田さん自身が、「日本一小さな家」と言っていたように、最小限の間取りは、日本の民家の原形。玄関も質素で当然コンパクト。ある意味“日本一小さな玄関”といえるかもしれません。


■超巨大な邸宅の秘密
ライフル銃で有名なウィンチェスター社創業者の長男の未亡人、サラ・ウィンチェスターが、米・カリフォルニア州サンノゼに建てたヴィクトリア様式の邸宅、通称「ウィンチェスターハウス」の玄関はちょっと変わっています。
サラは、身内に不幸が続くため霊媒師の助言に従い、亡くなるまでの38年間、休まずに家を増築。結果、160の部屋、2000枚のドア、40の階段、13のバスルーム、47の暖炉、9つの台所を持つという巨大にして奇妙な建築物に。玄関もいくつかあるのでは、と思いきや、実はゼロ! 地震で一部が倒壊、おおかた修理されましたが、なぜか正面玄関は壊れたまま封印。以降は、裏の勝手口を使用していたというのです。

玄関は「家の顔」といいますが、たしかにそれぞれの個性あふれる生き様が、なんとなく玄関に表れているようで面白いですね。


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